母の干渉から逃げたかった…私が自由を求めた理由

母が嫌い

私は母が嫌いだった。

過去形になっているのは
もうすでに亡くなっているからだ。

母が亡くなった時は
涙ひとつ流せなかった。

そんな自分の冷たさに
自分自身が一番驚いた。

母が生きている間は
「母が嫌いだ」と、思ってはいけない。
と、自分の感情を押し殺してきた。

母からは
いつも否定され続け
人前では、けなされ
干渉される毎日

これは
「私がちゃんとできないから…」
だから仕方ない。

そう思うようにしていた。

それなのに
母が亡くなった時は
悲しい、寂しいよりも

ようやく解放される
やっと自由になれる
という安堵感の方が強かった。

そして、
母が亡くなってようやく言えた。

私は母が嫌いだったと。

この記事を書いた人
  • 会社員、パートに向いてなかった氷河期世代
  • 心理学・コーチングで自己探求
  • 50代の今、主婦をしながら個人事業主として独立へ
まなたま
目次

母からの干渉

私が小さい時
母は家事にパートに
親戚、近所付き合いにも忙しそうだった。

家でゴロゴロしている姿は
ほぼ見たことない

そんな母は尊敬するけど

小さい頃の
母との思い出は数えるほどしかなかった。

それなのに

私が中学、高校へと進学した頃から
母からの干渉がひどくなっていった。

今思えば、
時間的にも気持ち的にも
余裕がでてきたのだろう。

そんな母の干渉から逃げたくて
20歳で家を出た。

念願の一人暮らしは
想像以上に自分を取り戻せる場所だった

好きな時に出掛け
誰とどこに行くとも言わなくていい

好きな時に電話をして
誰と何を話していたとも言わなくていい

好きな時に資格の勉強をして
何のためにやってるのか言わなくていい

6畳一間の空間には
私の自由があった。

実家暮らしの時は
外で友達と遊ぶのが好きだと思っていた。

だけど
一人暮らしになってからは
家でひとりで何かしているほうが心地よかった。

これは新しい発見だった。

そして、
結婚し子供も生まれ

もっと幸せになるはずだったのに

現実は違った…

義理の父母からも干渉

結婚して子供が生まれ
私の実家近くに住んだ

もう結婚もしたし
母から干渉されることはないだろう
と思っていたからだ

でも
現実は、甘かった…

母からの干渉は
エスカレートしていった。

母はパートを辞め
祖母も亡くなり
きょうだいみんな自立し
時間だけはたっぷりあったからだ。

何かと私の家に来ては
どうでもいい話をして帰っていった

そのうち、
カギが開いていたら勝手に入ってきたり
近所の友人まで連れてくる日もあった


落ち着かない…
私の家なのに

もう、うんざりだ。

さらに、
夫の親からも
いろいろ口を出されるようになっていった。

住むところ
私の仕事のこと
子育てのこと

そして
夫の親も毎週のようにうちに来た

落ち着かない…
私の家なのに

もう、うんざりだ。

その結果

両方の親の干渉が原因で
夫婦ケンカも増え
こんなはずじゃなかったと嘆く毎日だった。

この状況を変えなといけないと思い
母が簡単にはこられない場所へ引っ越した。

これで
突然、訪ねてきては
ズカズカと家の中に入り込む人はもういない

そして
子供も大きくなり
私も働き

そのうち私の親も夫の親も年を重ね
だんだん干渉から解放されていった。

物理的なことからは解消されていったが

残されたものは「私の心」だった。

自由を取り戻すまで

小さい頃
母から言われた言葉で
私が出来上がっていた。

例えば
「あんたは何をしても続かない」
と言われ続けたことで

大人になってからは
「私は何をやってもダメ」
と思い込んでいた。

「あんたはわがままだね」
と言われ続けてきたことで

「自分の感情を出すのは悪」
と思い込んできた。

親やきょうだい、先生など
小さい頃に言われたことが
いつの間にか刷り込まれていき
自分が出来上がっていく

心理学では
これをセルフイメージといいます。

くわしくはセルフイメージが低いとどうなる?へ

母はいつも私のことを否定し
私が好きなものまで否定し
他人の前でも、バカにされ続けていた。

そのせいで
「どうせ私は何をやってもダメな人間」
と思い込み、

何もかもが中途半端だった。

だけど
この間違った思い込みに気づけば
後は書き換えていくだけだ

例えば
何をしても続かない
それは、変化に強いということ
と、書き換えられる

自分の感情は出すのは悪だ!
という間違った思い込みも
気づいたら書き換える。
をくり返していった。

すべての出来事がつながった時

私に人生の目的は「自由に生きること」だ。

これはセルフコーチングで導き出した答えだけど

振り返ってみた時
全てがつながった。

なぜ、私の周りには
干渉したがる人ばかりなの?

と思っていたけど

それにもちゃんと意味があったんだ。

きっと、あの母との関係も、
義理の父母との関係も

私が“自由に生きたい”と気づくためにあったのかもしれない。

そう思えるようになってきた今、
過去の出来事ひとつひとつが、点から線に変わっていく。

それがきっと、
「自分の使命」ってやつに、
つながっているんだろう。

そして
50代に入った今は
私は自由に生きていい!
と自分に許可し

ようやく、
本来の自分に戻り
自由な生活ができるようになってきた。


少しずつではあるけど
母との楽しかった出来事など
ふとした瞬間に、思い出せるようにもなってきた。

母が亡くなっても
私の心の中に生き続けている。

だったら
これからは、
もう少し母と仲良くできたらなと思えるようになってきた。

そしていつか
母のところにいった時は

「私を成長させてくれてありがとう」
と、心の底から感謝の気持ちを伝えたい。

自分に起こる出来事、環境、出会いなどは

すべてに意味があると思っているから…

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